立ってする~♡ 座ってする~♥ [戯言]



って、男性の小便のことなんで~



どこやらのアンケートによると、洋式便器で座って小便をすると答えた男性が40%を占めたらしい。

立ちしょん派の私が言うのも何なんだが、座って用を足すって便器を汚さない!
結構いいかも

女性陣は知っているかどうかは定かではないが、男性のオシッコって一筋縄ではいかない!
2本に分かれたり、トルネードしたりするから、思ったところに命中しない!

それに、朝はもっとヤバイぞ!
膨張しているうえにいやいやぐらいかないやいや

とまぁ~角度は置いておいて立ちしょんだと、便器が近くなる!
近いと、跳ね返りが多くなる!跳ね返りが多いと、わが身に降りかかるという図式になるが、チト不衛生かな

これを改善するために座ってやったとしても、これまた微妙
なっているから、そのままでは虹を描いてしまう
そうならない為には押さえ込みしかないが、人間工学のうえから言うと非常に困難
それに、長年の習慣から座るときは大と決まっているから厄介

しかし、各家庭に立ちしょん専用便器がある家って見なくなった
昔は、用を足しながら小窓の景色を見て、わびさびを感じたものだが

この先、座り小便する人が多くなれば、パンツの窓はどうなるの
チャックで挟む危険性はなくかるかもしれないが、前ファスナーはどうなるの
リーバイス・ファスナー無し508って発売されるんかな


というより、この子たちはどうすんのよ







誰よりも早い クリスマス? [戯言]

何とはなしに記事を書きたい時がある
心の内を思いっきり表現したいという衝動に駆られるって誰だってあると思う


そんな時、プレイログって使える奴

しかし、どうだ!全然書けねぇ~
言葉が出てこないし、書いても気に入らないから消す、書くの繰り返し


まぁ~思っていることを素直に書けばどうってことないのだが、どうしてもカッコをつけたがる自分が居る。
それに、同じ書くなら多くの人に見てもらいたいという気持ちも、ホントのところあるから、よそ行きの文章になってしまう。


ということで、抽象的な内容を止め、地球の動きと夜と昼の関係から心の変化とい展開を書き始めたが、自分でもわからなくなったのでヤンペ


そんなんで、いきなりクリスマスの話







何故か、クリスマスって12月24日?
この日って当然終業式があり、魔の通知簿をもらう日だ

成績抜群なら堂々と両親に見せるのだが、何ともはや成績最低”子供は勉強より、外で元気に遊ぶのが一番”っていうのを地でいっていたのだから当然の結果だったのだが

それとは別に、24日は私自身の記念日でもある。
この世に生を受け、感謝する日なのだが、親父の遊びが絶好調と合間って、侘しい記念日を迎えること度々。あまり良い記憶は無いに等しい。

成人になってからは世間の風潮に踊らされ、やれ小綺麗なホテルで一夜を過ごすとか、ディナーはフランス料理じゃなきゃイヤダ~とか、プレゼントはティファニーのオープンハートかシャネルの三連ネックレス、時計だったらブルガリかロレックスのコンビがいいわ~何ていうアホ女にうつつを抜かし、神聖な日を汚したことも良い思い出か



ということで、これだけの文章を書くのに2時間近く費やし、内容ゼロ

ログ友のところにも行ってないしコメントも返していないが、そろそろ寝ないと朝がヤバイ!

後、前回のコメントで”私事は封印”って言ったがやっぱり書かせて~

今年の記念日はマジで惚れた女と過ごします








はははっ!~ってこの日は夜勤なんですが、誰か代わって


最後に



私が私であるために

手をつないでいいですか




やっぱり、わけわからんチン

まだまだです! [戯言]

ハラペコは生きてる証









せつなさは本気の証



何て思っていても 気持ちばかり先行して行動が伴わない

今の自分でいいのかと自問自答と反省だ

う~ん まだまだ甘い抹茶です

"ENDLESS LOVE" 愛されるより愛していたい [戯言]

柔らかな日差しが部屋を照らし 冷えた身体を暖かく包む


その空間に溶け込むように 甘くソフトな歌声が心地よく響く頃


想い出すのは愛しい人


ちょっと鼻にかかった甘え声


時々何を言ってるのかわらなくなる


生返事をすると得意げに喋り続ける


目が合うと少し悲しげに私を見る


でも 真っ直ぐで輝いている


別れが近づくと悲しそうに目を伏せ


駄々っ子のように口を尖らす





愛されていると実感する


しかし ずっと愛していたいと思う


いつまでも













ライオネル・リッチ 81年のソロ・デビュー曲が この「エンドレス・ラブ」

ブルック・シールズ主演の映画「エンドレス・ラブ」のテーマ曲でもある

ソウル ポップ部門ともに1位 ポップ・チャートでは9週間1位に輝いた

デュエット・パートナーはダイアナ・ロス

ライオネルの書いたロマンティックな曲調がダイアナの蜜のような

歌声と融合し 今も尚 バラードの決定盤としてロングセラーを

記録している




♪僕の愛のすべてを

 君と分かち合いたい

 他の誰でもなく君と

 君の瞳が

 どれだけ僕を愛しているか物語っている

 ああ そうさ

 君はいつだって

 僕の終わることのない愛










「キスして抱きしめて」 [戯言]

始めました~


絶対、三日坊主


夜勤を終え、すぐさま得意のジャージーに着替えてスタート~

100メートル全然楽勝~

500メートルちょとナンダか

1キロ とっても

2キロ あ~も~あかん~



ということで今日から始めたのがジョギング

別に腹が出てるとかじゃないけど、何となく俺ヤル気満々

う~んしかし走った後の爽快感は格別です

腕立て伏せも腹筋もキツカッタけれど何か身体にパワーが注入されていきそうです。


そんなんで、走っている道で見つけた






























MISIAの曲に「キスして抱きしめて」という曲がある。

離れて暮らす彼への思いを、せつなく歌っている。

MISIAの熱い歌声も素晴らしいが、歌詞も侮れない。

その歌詞の中で最近スゴク気になるのが


眠れなくなって 起き出して

たいして興味もないくせに

よく見るって聞く 深夜番組つけると

あなたがいるような 気になって



雑踏にまぎれて消えた言葉達を ふと思い出して

胸が痛いくらいせつない 苦しい

さびしいから 今すぐ会いに来て 




ナンテいい年して悦に入ってしていると、やぶ蚊の襲撃に遭った!




結局、やぶ蚊に”キスして抱きしめられた”俺

「プレイログとカバと象」 [戯言]

賢明なブロガーはもうお気づきだと思いますが




毎度ながら最近のプレイログ



























重い






















また やってしまった

子猫と少女とオッサン [戯言]

ハッキリとは覚えていないが今月の2日か3日だったと思う。

一人の小学生と思われる少女が駐車場でうずくまっていた。
何をしているのかと覗いてみると、少女はダンボール箱に入った、まだ目も開いていない1匹の子猫をジッと見ていた。



もうここまで書けば、この猫が捨て猫であることはお分かりだと思いますが。


はい!ここで質問です

この少女が子猫を連れ帰ったとしたら、あなた(母)はこの子にどう言いますか?


●「ダメじゃない!捨て猫なんか拾ってきちゃ!元のとこに捨ててきなさい!


○「可愛い子猫だこと可哀想に捨てられたんだねじゃぁウチで飼いましょうか



当然、各家庭の諸事情があるので、”飼うべきだ”とは申しませんが、多少大変でも、小さな命が救われ新しい家族の一員として成長する姿を見ることは何物にも代えがたい喜びでしょう。

もしお子さんがいらっしゃるなら、こんな良い情操教育のチャンスはまたとないでしょう。
命はこういうように育てて大事にするものだと、お手本を見せることができたら最高の教育でしょうね。また、動物愛護の心を幼い頃に身につけることは、とっても大切なことだと思います。





「捨て猫かぁ可哀想に」っと心の中で問答しながら私はその場を去った。



その後、あの少女が子猫をどうしたなんて全く気にも留めていなかったが、今日偶然にもあの少女に出会った。


それがどうだ!あの時の捨て猫と思われる子猫を大事そうに抱いているではないか!
あの時この世の不幸を一身に背負い泣きじゃくっていた捨て猫は今、少女の腕の中で幸せそうに眠っていた。





その姿を微笑ましく眺めて、”良かった”と思った反面、こんな大人であることに恥じたのであった。

生きがいと幸せ [戯言]

先日、定年を迎えられた方2名の壮行会があった。

場所はいつもの和風居酒屋。和風といっても特にめずらしい料理を出すでもなく、普通にのんべが騒ぐ居酒屋である。

宴もたけなわの頃、いつもは眉間に皺を寄せて私たち若造?に文句を言うお二人が今宵は猫の子を借りてきたようにおとなしい。
やはり定年を迎え感無量なのか、酒のピッチが全然あがらない。

以前に聞いたところでは、お二人とも再就職はしないとのこと。これといった趣味もなく定年後をどう過ごそうかと相談を受けたこともあった。
このお二人もやはり働くことに生きがいを感じてきた、またそうさせられた日本の男達なのでしょうか。
”働かざるもの食うべからず”。身を粉にして働いてこそ、まっとうな世界だと洗脳された働き蜂たち。
会社に永い間勤め、定年になると、余生を送るとか、老後の生活などというが、仕事に励んでいた時が人生で、その後は余った人生なのか。
ゆったりと豊かで、活き活きと幸せに、人間らしく生きるために働いてきたはずなのに。手段そのもを生きがいにしてきた末路なのだろうか。



幸せには大きな幸せと、小さな幸せがあると常々思ってきた。
小さな幸せとは物や形による一時的な幸せ。
大きな幸せとは未来永劫の幸せってところか。

夫は大きな会社に勤め、収入も安定している。妻は家事のかたわらスポーツや習い事を楽しみ、子供は塾通い。といったような典型的な中流家庭。
ローンで買ったとはいえ一戸建ての家があり、車も電気製品も揃っている。
休日には夫婦でスポーツを楽しみ、年に何回かは旅行にも行く。それぞれにお洒落を楽しんだり、食にも拘ったりもする。

明るくてうまくいっている幸せそうな家族のいる家庭のように見えるが、この家族は本当に幸せなのだろうか。
確かに、人生の半分を棒に振った私と比べると月とすっぽんである。そして、飢餓で苦しむアフリカや戦争、内紛が絶えない国の人たちよりも幸せそうである。でも、本当に幸せなのだろうか。
夫婦はしっかりとした愛でみたされ、子供は学校、勉学に満足し、親子関係には愛がみなぎっているだろうか。

何分の割合で離婚が行われていると聞くが、愛情よりも金欲しさに殺人事件にまで発展する昨今、テレビでは、同血の痛ましい事件が毎日のように流れている。
また、幸せな家庭を一瞬で破壊する事件も少なくない。
毎年、交通事故で1万人以上が亡くなる。自殺者はその倍の2万人である。
自殺未遂者は自殺者の5倍、10万人を越える。自殺願望をもった人はその何倍なるか知りたくもない。


幸せとは何なのか、ゆっくり考えようと思う。

どんな道にも見上げれば空があるから。

”男の形と女の実” [戯言]

男は、彼女が自分のことをどう思っているか気になる。
女も、彼が自分のことをどう思っているか気になる。

男は、彼女はきっと自分のことをこう思っているだろうという読みがある。
女も、彼はきっと私のことをこう思っているだろうという読みがある。

一見同じことを思っていそうだが、男が彼女のことを本当はどう思っているかということと、女が、彼は私のことをこう思っているはずだと思っていることの間には大きなズレが生じている。

男は形を求め、女は実を求める。
しかし、男は女も形を求め、女は男も実を求めるものだと思っている。

「係長になったら結婚しようね」という男に、女は別に係長でなくてもいいと思っている。その男そのもを愛しているのだから、そんなことは関係ないと思っている。
男は係長より課長、課長より部長の方が偉いと思っている。
しかし、女はそんな肩書きより、人間的に優れた男かが問題だと思っている。

男は女の体を見たり、さわったりして性的に興奮する。
好きなタイプの顔や体や年齢ならば、ハッキリ言って女なら誰でもいい。
写真やビデオを見ても興奮する。女という形に興奮する。
男は女も当然、男の体に反応して興奮すると勘違している。

昔、世界最古の職業は売春婦だと聞いた。
日本ではもちろん禁止されているが、あの手、この手でずっと続けている。他国では国営で堂々と行っているところもあると聞く。もちろん、禁止されている国のほうが多いのだが、それでも売春婦はいる。
では、女は何故売春婦になれるのだろうか。
答えは、女は実を求め男は形を求めるからだ。女は客の男に全く感じないから、このビジネスができる。
普通、好きでもない身ず知らずの男とのセックスはNOである。
ここには、金という実がちゃっかり存在しているのはご承知の通り。

同じように、バーやクラブ(今ならキャバクラかな)のホステスという職業も、男たちの勘違いで成立している。
男が好みそうな露出度の高い服装で男の隣にに座り、その男の社会的地位や、築き上げてきた形を誉めまくる。
男にとってこんな気分のいい場所はない。そこで男は、自分の魅力に女がまいっていると、大きな勘違いをする。

一時期、左脳ブームというのが起きたが、これは大脳の右半分と左半分では機能が違うということに端を発したもので、男と女とでは形態が違うように価値観も違うというもの。


このままでは、どこまで行っても平行線を辿り全く接点がないが、男と女がいい関係をつくっていくには、こうしたお互いの違いを「認め合う」とういうことが重要なのではないかなと強烈に思う。
また、形にとらわれず実の大切さに最近、ホント最近ではあるが気付いた抹茶である。

近隣にて思う [戯言]

近隣といっても脇道を入れば直ぐこんな景色に突き当たる。














早く言えば田舎である。


小川では子供が水遊び(訂正!中学生の女子でした










先日の台風で倒れた稲を起こしながらの収穫作業。









疲れたら一休み。









そして、また仕事に戻る。


しかし、ここで作業をしているのはこんな方々です。













日本の秋といえば、実りを迎えた金色の水田を思い浮かべるが、残念なことに都市郊外や山間地域で耕作を放棄された田や畑が何たらという雑草の格好の繁殖地となり、日本の原風景が急速に失われているらしい。

農業従事者の高齢化と後継者不足も深刻で、65歳以上の高齢者の比率は30%に達しているとのこと。そして、高齢化、女性化は着実に進み、平成27年には65歳以上が6割を占めるという恐ろしい予測も出ている。

農地は、食料生産の場であると同時に地域の緑地としても重要な役目を果たしている。また身近な自然は癒しの場でもあるようにも感じる。

こうした問題は、同時に食の問題でもある。日本の現在の食料自給率は約40%で、これは先進国の中でも最も低い水準あり、主食の米は自給を保っているがパンなどの原材料の小麦は14%、食用大豆は22%しか自給できていない。こうした背景には、食生活の変化と農業の競争率の低下という2つの要因がある。米や魚を主食とする和食からパンと肉食の欧米型のスタイルへ大きく変化し、競争という点では、耕地の細分化や農家の高齢化などの影響により生産性の低さが原因とのこと。

まぁ以上のようなややっこしいことは抜きにしても、近い将来、畑や田が我々の前から無くなってしまうのではないかと危惧するが…


しかし、こういった事情に関係なく確実に秋はそこまで来ていると思う今日この頃であった。




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